2024-05-22

 時々、なにかとてつもなく大きなことを忘れてしまっているような気分になる。谷川俊太郎の「かなしみ」のようだけれど、本当にそう思う。無数に枝分かれした選択の果てに今のわたしがいる。それはつまり、今のわたしが選択した数よりも、ずっと多くの選ばなかった選択があったし、これからもあるということ。結局なるようにしかならないし、こうありたいと望んでもこうでしかありえなかったというところに行き着くしかない。しかし、あのときああしていたらこうだったかもしれない、という、恥ずかしいほどナイーブではあるが拭い難い、取り返しのつかなさに由来するフィクションを求める気持ちには、どこか忘れものや落としものをしたときの不安や焦りや悲しみに近しいものがあって、その感情がわたしの今いるこの場所を足元から静かにガラガラと崩していく。少しずつ身動きが取れなくなる。スローモーションでナイフを突き刺されたときのようにゆっくりと、深く、沈んでいく。だからその感情に負けないように、同じくらいゆっくりと、深く、大きく深呼吸をする。Jim O'RourkeのEurekaを聴く。茹でたうどんとキムチを食べる。皿を洗って棚に並べる。立ち上がって洗濯物を干す。もう一度息を吸って吐く。息を吸って吐き出す。