手術室までの険しい道のり
「13:30に来てください」と言われていた。歩いて20分ほどの病院なので、少し余裕をもって13:00ちょうどに家を出る。なぜかピチカートファイブの『ベリッシマ』を聴く。
13:20頃、次の角を曲がれば病院、というところで忘れ物に気づく。検査承諾書である。手術日に提出してくださいと言われていた。先週病院から帰ってきて、すぐに母に同意のサインをもらい、ファイルにしまって本棚に入れたはずだ……。
久しぶりのダッシュ。いつも何かを忘れるんだよな。郵便局に大学の願書を出すとき、しっかり手数料分のお金を持って家を出たのに願書そのものを忘れていたことがある。駅前の駐輪場に月1の利用更新へ行ったら更新料を忘れていたことがある。銀行にお金を下ろしに家を出たのにキャッシュカードを忘れていたなんてことはもう何度もある。数えていたらきりがない。こんなんばっかりだ。
人生の忘れ物たちが走馬灯のように頭を駆け巡る。さっきまで聴いていた田島貴男の甘い声はどこへやら。足はもつれ、息も切れ切れ。とにかく走る。走る走る走る。早送りの逆再生で流れる街並み。3丁目公園の角を曲がる。7分で家に着いた。書類はすぐに見つかった。さっき見送ったはずがなぜここに、と母が驚く。ちょうど出かけるところだから車で送ってくれるという。走ったほうが速いかも、と思いつつ、尋常じゃない汗をかいているので送ってもらう。
病院に着く。いつもどおり受付を済ませる。ちょっと遅れたが問題なかった。血圧と体温を計らなければいけないという。血圧を測る。高いのか低いのかわからない。とりあえず結果の書いてある紙を看護師さんに渡す。体温は36度4分。平熱だ。
手術室へ案内される。案内の看護師さんが、あれ、どっちだっけな、と途中で迷う。不安がつのる。
手術準備室に入る。3人の医師に迎え入れられる。名前の確認。更衣室で割烹着のような白衣に着替えるよう言われる。更衣室に入ってから、これ、服は全部脱いでいいんだよな……と、確認し忘れたことを後悔する。まあ、全部脱ぐものだろう。荷物をすべてロッカーに入れて外へ出る。頭に青い透明のビニールを被せられる。いよいよ手術室へ。
手術が始まる
手術室には研修医と思われる人も含めて7人ほどが待機していた。やっぱり研究対象なんだ。例の失礼な先生はいなかった。指示に従って横になる。点滴を打たれる。顔の前にカーテンが引かれる。それなりに出血するんだろうな。準備を待っていると、突然音楽が鳴り始めた。デンデンデンデンデンデンデン。えっ? なぜ? こういうものなのか。Black Eyed Peasの「I Gotta Feeling」。手術室に全く似つかわしくないアゲアゲナンバーだ。一体何を感じろというのか。その後も「2010年代洋楽ベストヒット」のようなアゲアゲメドレーが続く。どういう状況?
麻酔を打たれた。結構ちくっとする。でも我慢できる範囲。カーテンの奥は何も見えない。執刀が始まったのだろうか。ぐりぐりぐりぐりされている。あ、痛い。めちゃくちゃ痛い。内臓を直接触られている感じがする。「痛かったら痛いって言ってくださいね」と言われる。痛いです、はい、痛いですよ。先生は「あー、裏側は痛いんですよね。麻酔も効きづらい部分なんだよな」と言った。それだけだった。結局耐えるしかないんかい。
ひとりの看護師さんはメンタルケアの担当のようだ。隣で話しかけ続けてくれる。大学生ですか? ああ、池袋ですか。遠いですね。あ、でも、家は近いんですね。僕も前はその辺に住んでました。身長高いですよね。バスケとかされてるんですか? えっ、映画館で働いてるんですか、ああ、あの、水族館の隣の。この前、子どもを連れて行きました。最近は映画観れなくなっちゃったな。今まで観た中で一番面白かったのは? あははは、答えづらいですよね。『グレイテスト・ショーマン』面白かったですよね。僕は映画観る前にサントラで知って。それで観たら最初からあの曲流れてきて。あ、『ボヘミアン・ラプソディ』はどうでした? えっ、3回も観たんですか。あれはもうフレディの生き様をね。僕は映画館では観れなくてブルーレイで観ましたよ。
この会話中、ずっと痛い。拳を固く握りしめて堪えている。でもなんとか気を紛らわしてくれているのだ。ありがとうございます。
執刀中の先生同士の会話。ここをさ、こうやって切らないと、膨らんじゃうから。デザインしてあげよ。デザイン。なるほど、いい言葉だな。
執刀が終わったらしい。止血が始まる。めちゃめちゃ痛い。しかも音が怖い。プーッという音の後、シューッというスプレー? レーザーかな、めちゃめちゃ痛いし怖い。裏側は痛いんだよなあー、とまた先生。でも、こっちはあんまり痛くないんじゃない? あ、そうですね。さっきよりは。でも音が怖いんだよな、音が……。先生はひたすらシューってさせる。
縫合に入る。激痛。どこに針刺しても痛いものは痛い。特に裏側は痛い。しかも、糸が自分の体からぴ〜って伸びていくのがわかる。いやーーーーー早く終われ。大きく息を吸って吐く。お産の時の呼吸はひーひーふーだったか。ひーひーふー、ひーひーふー。いや、マラソンの呼吸のほうがいいか。すっすっはっはっ、すっすっはっは。そんなことをしても気は全然紛れない。もうちょっとで終わりますからねー、と言われてから全然終わらない。ああ痛い痛い痛い!!!!
もう限界だ、と思ったところで先生が終わりましたよと言った。よかった。再び尋常じゃない汗をかいている。どんな感じになったかを見せてくれる。こうやって見えてる感じです。あー、はい。ありがとうございます。初めて外に剥き出しになった陰茎を見ても、全然自分の体だとは思えなかった。じゃあちょっと軟膏塗りますね。こうやってべっとり付けて、それから伸縮性のある包帯を巻いてください。今日はちょっときつめに巻きますけど、明日からは優しく巻いて大丈夫です。あと、念のため、オナニーはしないでくださいね。たまにいるんですよー、それで傷口開いちゃう人。あと、勃起もなるべくしないようにしてください。もしも傷が開いたらすぐ病院に来てください。……恐ろしくなってきた。
出がけに執刀をリードしていた先生に話しかけられる。性行為はできてました? いやー、あんまり。皮被ってるなって感じで。痛かったですね(わたしはセックスをしたことがなかったのでこれは全部嘘)。そうですか。そういう感じはなくなると思うんで。お疲れさまでした(ホント疲れたよ)。
精算して病院を出る。軟膏と痛み止めをもらいに目の前にあった薬局へ行く。新しくて綺麗なのと古いのと二つある。綺麗な薬局に行こう。ウィーン。いらっしゃいませ。初めてです。保険証を渡す。代わりにアンケートを渡される。症状:包茎手術……でいいのか。この申告必要か? アンケートの一番下に、美容や健康に関して下記から気になる事をチェックしてください、とある。なるほど、美容系の薬局だったのか。どおりできれいなわけだ。明らかに自分だけが浮いている感じがする。包茎手術も美容と健康に関係しているといえばそうなのだけれど……。待っているとダイエットドリンクの試飲を勧められた。じゃあマンゴースムージーで。紙コップに黄色のトロッとした飲み物を口に含む。意外とおいしい。名前を呼ばれ、軟膏と痛み止めをもらう。よろしければそちらのチラシもご覧ください。カウンターの横にはダイエットドリンクのチラシが置いてあった。あ、はい、おいしかったです。ありがとうございました……。
こうして手術は終わった。かかった費用は保険適用で10,000円切っていたんじゃなかったかな。怒涛の数時間で会計した記憶がない。しかし麻酔の切れ始めた帰り道、ここからが第二の地獄の始まりなのであった……。
〜④につづく〜