22歳で真性包茎の手術をしたときの話④(終)

 手術後はボクサーパンツを履け

 とにかく大事なことなので最初に書いておく。これから手術を受ける人はこれだけでも覚えておいてほしい。

 真性包茎手術の後は、

①絶対にボクサーパンツを履くこと

②なるべく徒歩の移動を少なくすること

以上です。

 まず①について。手術の後は初めて剥き出しになった亀頭にパンツの布が当たると痛いのでは、と予想し、あらかじめトランクスを履いて病院へ行ったのだった(普段はボクサー派なのでわざわざ無印良品で数枚買っておいた)。これが失敗だった。しばらく歩いていると麻酔が切れて徐々に痛みが戻ってきた。包帯でぐるぐる巻きにはなっているが、皮を切られたのだから無理もない。しかし痛い。痛いぞ。何がこんなに痛いんだ。歩くことができなくなり道の上で立ち尽くす。一歩踏み出すたびに太い針を刺されるような痛みが襲う。堪えながらちょっと歩いてみる。やっぱり堪えられなくて立ち止まる。この動作を何度か繰り返しているうちにわかった。トランクスの布地に亀頭が触れて痛いんだ……。

 トランクスは全体的にゆとりがあるので肌を締め付けないようになっている。それが仇となり、性器がパンツ内に固定されないため歩くたびにトランクスと接触して痛みを引き起こしているのだった。試しにズボンの上から性器を固定し、またなるべく可動範囲を減らすため少し前屈みになりながらペンギンのようによちよち歩く。痛くない!! やはりゆとりのあるパンツの中で動いてしまうのが原因だった。しかしここは日中の街の真ん中である。前屈みで股間を押さえながらペンギン歩きを決行するのはあまりに怪しい。でもおさえないと痛くて歩けない。そうだ、ズボンのポケットに手を入れて、そこからこっそり押さえれば目立ちづらくはなる。かくして、ポケットから股間部に手を伸ばし、なんとか性器を押さえながらよちよち歩く。これでも当然股間部は押さえている手の分だけ膨らむのだが見えない分だけ多少はマシだ。しかしポケットからこっそり押さえるのはなかなか難しく、たまに手からそれてしまうとトランクスに当たって激痛が走る。繊細なハンドワークが求められる。こんな技術はいまだかつて必要になると思ったことはなかったし、こんなとき以外一生使うこともないだろう。

 家から病院までは車で送ってもらったので帰りは徒歩だ。タクシーをつかまえようかと思ったが、住宅街の細い道なのでほとんど通らない。でも人通りはあるので人目は避けられない。いつもなら歩いて20分ほどの道のりが恐ろしく遠い。ボクサーパンツなら勝手に固定してくれたのでこうはならなかっただろう。トランクスなんて履いてくるんじゃなかった。手術の後は絶対ボクサーパンツ。真性包茎手術の後はボクサーパンツで性器を固定すること。大事なことなのでもう一度言いました。

 

 血と尿の滲むような努力

 なんとか家に着いた。ズボンとパンツを脱ぐと、包帯に血が滲み出ている。すでに出血しているようだ。包帯を外し、ノンアルコールのティッシュで患部を拭き取る。もらった軟膏をさっそく塗り付け、再び包帯を巻く。ボクサーパンツに履き替える。ぐったりだ。

 しばらくしてトイレに行きたくなる。これ、トイレして大丈夫なのか……と思ったが、包帯は側面に巻いているだけで尿道部分は塞がないようにしているので問題なかった。しかし、尿が包帯に付着してしまうのは避けられない。何度かトイレをするうちに、尿と傷口の血で包帯はおそろしい状態になる。しかも、性器が過敏になり、トイレに行かずとも尿もれを起こしているようだった。2、3時間で包帯を取り替えないと、血と尿で包帯がベシャベシャになってしまう。うわーーー。バイトを2週間休みにしていてよかった。

 1週間、全く外に出ずに包帯を取り替えるだけの生活を過ごした。2、3日は歩くと激痛が走るので外に出られる状態ではなかった。本を読んだりしていたが、本を読む間に包帯を取り替えるのではなく、包帯を取り替える間に本を読む、というのが適切なくらい頻繁に包帯を取り替える必要があった。お風呂は手術の次の日から、シャワーだけで患部を濡らさないように入ることができた。

 痛みは次第におさまっていった。外にさらされたり接触したりすることに性器がなれてきたのだろう。7日目の夜、夜ごはんを食べに家族で近くの居酒屋に行った。出血はほとんどおさまっていたが、尿もれは相変わらず続いていた。食べていて、しばらくするとズボンの股間部が湿っていることに気づいた。包帯の湿りがパンツこえてズボンにまで及んでしまったのだった。慌ててトイレに行き、一旦包帯を外して新しいものを巻く。幸い、紺色のズボンを履いていたのでシミは目立たなかった。しかしズボンにも付着した尿のにおいが鼻をつく。早く帰りたい……。

 次の日、経過観察のため病院へ行った。やっぱり例の失礼な先生が担当だった(外科医ではないのだろう)。かなり傷は修復されてきているということだった。抜糸不要の糸で縫合しているので、内側に残った糸は自然に溶けるらしい。不思議なものだ。外側の糸は自然に取れるため、無理やり取ろうとしないでくださいね、とのことだった。確かに、この前の日くらいから糸くず状のものがぱらぱらと取れるようになっていた。尿もれがすることを伝えると、今は敏感になっているが次第に落ち着くとのことだった。ついに泌尿器科通いの終わるときがきた。

 

 エピローグ〜めでたしめでたし、ではない〜

 手術から5年ほどが経った現在、今もよく見ると手術で縫合した境目を確認できる。外に晒された当初の亀頭部分は、赤ちゃん肌のような質感だったが今はだいぶ他の部分とも馴染んでいる。もう尿もれは起きていない。セックスも問題なくできている。

 手術してよかったかどうか、でいうと、よかったと思う。完全に皮をかぶっていたので空気にもほとんど触れていなかったと思うが、やはりちゃんと洗える今のほうが衛生的だ。それから、とりわけ中学生で真性包茎であることに気づいたくらいのときは自身の不能感に強く悩んだのだが、そうした悩みからも解放された。ただ、それを「良かったこと」としてしまうことには違和感がある。不能であることを問題に感じるのはこの社会が健常者男性中心にできているからだ。しかしこれを今の自分が言うと、どこか「強者の弁」のようになってしまう感じがする……結局、不能ではなくなった側の人間の弁になってしまうのだから。

 少なからず言えるのは、真性包茎に保険が適用されること自体が国家による生殖の管理にほかならない、ということ。バイアグラや真性包茎手術が保険適用であるのに対し、ピルが病気の治療を除いて適用外であるのはなぜか。健康のための保険ではなく、生殖の管理のための保険だからじゃないのか。また同居人は女性が真性包茎だったら保険適用にはならなかったと思う、と言っていたがそのとおりだと思う。リプロダクティブ・ヘルス・ライツは、女性の産まない、産めないという選択も尊重している(もちろん、産む自由という問題はフェミニズムと障害者運動間の論争があったように、「尊重している」の一言で片付くほど一筋縄にはいかない)。しかしアフターピルさえもつい最近まで市販されていなかったのだ。この社会においては、健常者男性の性と生殖機能ばかりが守られ、女性の身体は守られていない。いわんや、トランスの、ノンバイナリーの身体も。

 だから、健常者男性中心の社会なんてクソだ、政治家も医師会もクソジジイばっかりだ、国家による生殖の管理はクソだ、生命尊重ニュースはクソだ、性のタブー化もクソだ、生権力だ、主体=従属だ、フーコーだ、性の歴史を読め、フラットなフロアだ、踊る自由だ、踊らない人がいてもいい、唯の生でよい、生存は抵抗だ、と同居人は言っていた(言ってない。わたしが言っています)。

 それでも、手術してよかった、と思えるのは、真性包茎であったこと、そして手術を体験したことが、少なからず自分の考え方に影響を与えたと思うからである。性に関する事柄はタブーであるとして抑圧されたり、あるいは茶化されて軽く見られたりする。自分の身体のことを誰かに相談したくても、マチズモの蔓延る社会では安心して話すことが難しい。そういう社会が変わっていけばいいと思う。話したい人が話せるようになっていけばいいと思う。この記事が真性包茎に悩んでいる人の目にとまり、少しでも何かの参考になれば幸甚である。大学病院に保管され、たぶん資料として使われているであろう自分の性器の写真のことを思うと、なんであのとき研究の承諾しちゃったのかな、とは時折思うのだけれど。

 

(終)