22歳で真性包茎の手術をしたときの話④(終)

 手術後はボクサーパンツを履け

 とにかく大事なことなので最初に書いておく。これから手術を受ける人はこれだけでも覚えておいてほしい。

 真性包茎手術の後は、

①絶対にボクサーパンツを履くこと

②なるべく徒歩の移動を少なくすること

以上です。

 まず①について。手術の後は初めて剥き出しになった亀頭にパンツの布が当たると痛いのでは、と予想し、あらかじめトランクスを履いて病院へ行ったのだった(普段はボクサー派なのでわざわざ無印良品で数枚買っておいた)。これが失敗だった。しばらく歩いていると麻酔が切れて徐々に痛みが戻ってきた。包帯でぐるぐる巻きにはなっているが、皮を切られたのだから無理もない。しかし痛い。痛いぞ。何がこんなに痛いんだ。歩くことができなくなり道の上で立ち尽くす。一歩踏み出すたびに太い針を刺されるような痛みが襲う。堪えながらちょっと歩いてみる。やっぱり堪えられなくて立ち止まる。この動作を何度か繰り返しているうちにわかった。トランクスの布地に亀頭が触れて痛いんだ……。

 トランクスは全体的にゆとりがあるので肌を締め付けないようになっている。それが仇となり、性器がパンツ内に固定されないため歩くたびにトランクスと接触して痛みを引き起こしているのだった。試しにズボンの上から性器を固定し、またなるべく可動範囲を減らすため少し前屈みになりながらペンギンのようによちよち歩く。痛くない!! やはりゆとりのあるパンツの中で動いてしまうのが原因だった。しかしここは日中の街の真ん中である。前屈みで股間を押さえながらペンギン歩きを決行するのはあまりに怪しい。でもおさえないと痛くて歩けない。そうだ、ズボンのポケットに手を入れて、そこからこっそり押さえれば目立ちづらくはなる。かくして、ポケットから股間部に手を伸ばし、なんとか性器を押さえながらよちよち歩く。これでも当然股間部は押さえている手の分だけ膨らむのだが見えない分だけ多少はマシだ。しかしポケットからこっそり押さえるのはなかなか難しく、たまに手からそれてしまうとトランクスに当たって激痛が走る。繊細なハンドワークが求められる。こんな技術はいまだかつて必要になると思ったことはなかったし、こんなとき以外一生使うこともないだろう。

 家から病院までは車で送ってもらったので帰りは徒歩だ。タクシーをつかまえようかと思ったが、住宅街の細い道なのでほとんど通らない。でも人通りはあるので人目は避けられない。いつもなら歩いて20分ほどの道のりが恐ろしく遠い。ボクサーパンツなら勝手に固定してくれたのでこうはならなかっただろう。トランクスなんて履いてくるんじゃなかった。手術の後は絶対ボクサーパンツ。真性包茎手術の後はボクサーパンツで性器を固定すること。大事なことなのでもう一度言いました。

 

 血と尿の滲むような努力

 なんとか家に着いた。ズボンとパンツを脱ぐと、包帯に血が滲み出ている。すでに出血しているようだ。包帯を外し、ノンアルコールのティッシュで患部を拭き取る。もらった軟膏をさっそく塗り付け、再び包帯を巻く。ボクサーパンツに履き替える。ぐったりだ。

 しばらくしてトイレに行きたくなる。これ、トイレして大丈夫なのか……と思ったが、包帯は側面に巻いているだけで尿道部分は塞がないようにしているので問題なかった。しかし、尿が包帯に付着してしまうのは避けられない。何度かトイレをするうちに、尿と傷口の血で包帯はおそろしい状態になる。しかも、性器が過敏になり、トイレに行かずとも尿もれを起こしているようだった。2、3時間で包帯を取り替えないと、血と尿で包帯がベシャベシャになってしまう。うわーーー。バイトを2週間休みにしていてよかった。

 1週間、全く外に出ずに包帯を取り替えるだけの生活を過ごした。2、3日は歩くと激痛が走るので外に出られる状態ではなかった。本を読んだりしていたが、本を読む間に包帯を取り替えるのではなく、包帯を取り替える間に本を読む、というのが適切なくらい頻繁に包帯を取り替える必要があった。お風呂は手術の次の日から、シャワーだけで患部を濡らさないように入ることができた。

 痛みは次第におさまっていった。外にさらされたり接触したりすることに性器がなれてきたのだろう。7日目の夜、夜ごはんを食べに家族で近くの居酒屋に行った。出血はほとんどおさまっていたが、尿もれは相変わらず続いていた。食べていて、しばらくするとズボンの股間部が湿っていることに気づいた。包帯の湿りがパンツこえてズボンにまで及んでしまったのだった。慌ててトイレに行き、一旦包帯を外して新しいものを巻く。幸い、紺色のズボンを履いていたのでシミは目立たなかった。しかしズボンにも付着した尿のにおいが鼻をつく。早く帰りたい……。

 次の日、経過観察のため病院へ行った。やっぱり例の失礼な先生が担当だった(外科医ではないのだろう)。かなり傷は修復されてきているということだった。抜糸不要の糸で縫合しているので、内側に残った糸は自然に溶けるらしい。不思議なものだ。外側の糸は自然に取れるため、無理やり取ろうとしないでくださいね、とのことだった。確かに、この前の日くらいから糸くず状のものがぱらぱらと取れるようになっていた。尿もれがすることを伝えると、今は敏感になっているが次第に落ち着くとのことだった。ついに泌尿器科通いの終わるときがきた。

 

 エピローグ〜めでたしめでたし、ではない〜

 手術から5年ほどが経った現在、今もよく見ると手術で縫合した境目を確認できる。外に晒された当初の亀頭部分は、赤ちゃん肌のような質感だったが今はだいぶ他の部分とも馴染んでいる。もう尿もれは起きていない。セックスも問題なくできている。

 手術してよかったかどうか、でいうと、よかったと思う。完全に皮をかぶっていたので空気にもほとんど触れていなかったと思うが、やはりちゃんと洗える今のほうが衛生的だ。それから、とりわけ中学生で真性包茎であることに気づいたくらいのときは自身の不能感に強く悩んだのだが、そうした悩みからも解放された。ただ、それを「良かったこと」としてしまうことには違和感がある。不能であることを問題に感じるのはこの社会が健常者男性中心にできているからだ。しかしこれを今の自分が言うと、どこか「強者の弁」のようになってしまう感じがする……結局、不能ではなくなった側の人間の弁になってしまうのだから。

 少なからず言えるのは、真性包茎に保険が適用されること自体が国家による生殖の管理にほかならない、ということ。バイアグラや真性包茎手術が保険適用であるのに対し、ピルが病気の治療を除いて適用外であるのはなぜか。健康のための保険ではなく、生殖の管理のための保険だからじゃないのか。また同居人は女性が真性包茎だったら保険適用にはならなかったと思う、と言っていたがそのとおりだと思う。リプロダクティブ・ヘルス・ライツは、女性の産まない、産めないという選択も尊重している(もちろん、産む自由という問題はフェミニズムと障害者運動間の論争があったように、「尊重している」の一言で片付くほど一筋縄にはいかない)。しかしアフターピルさえもつい最近まで市販されていなかったのだ。この社会においては、健常者男性の性と生殖機能ばかりが守られ、女性の身体は守られていない。いわんや、トランスの、ノンバイナリーの身体も。

 だから、健常者男性中心の社会なんてクソだ、政治家も医師会もクソジジイばっかりだ、国家による生殖の管理はクソだ、生命尊重ニュースはクソだ、性のタブー化もクソだ、生権力だ、主体=従属だ、フーコーだ、性の歴史を読め、フラットなフロアだ、踊る自由だ、踊らない人がいてもいい、唯の生でよい、生存は抵抗だ、と同居人は言っていた(言ってない。わたしが言っています)。

 それでも、手術してよかった、と思えるのは、真性包茎であったこと、そして手術を体験したことが、少なからず自分の考え方に影響を与えたと思うからである。性に関する事柄はタブーであるとして抑圧されたり、あるいは茶化されて軽く見られたりする。自分の身体のことを誰かに相談したくても、マチズモの蔓延る社会では安心して話すことが難しい。そういう社会が変わっていけばいいと思う。話したい人が話せるようになっていけばいいと思う。この記事が真性包茎に悩んでいる人の目にとまり、少しでも何かの参考になれば幸甚である。大学病院に保管され、たぶん資料として使われているであろう自分の性器の写真のことを思うと、なんであのとき研究の承諾しちゃったのかな、とは時折思うのだけれど。

 

(終)

22歳で真性包茎の手術をしたときの話③

 手術室までの険しい道のり

 「13:30に来てください」と言われていた。歩いて20分ほどの病院なので、少し余裕をもって13:00ちょうどに家を出る。なぜかピチカートファイブの『ベリッシマ』を聴く。
 13:20頃、次の角を曲がれば病院、というところで忘れ物に気づく。検査承諾書である。手術日に提出してくださいと言われていた。先週病院から帰ってきて、すぐに母に同意のサインをもらい、ファイルにしまって本棚に入れたはずだ……。
 久しぶりのダッシュ。いつも何かを忘れるんだよな。郵便局に大学の願書を出すとき、しっかり手数料分のお金を持って家を出たのに願書そのものを忘れていたことがある。駅前の駐輪場に月1の利用更新へ行ったら更新料を忘れていたことがある。銀行にお金を下ろしに家を出たのにキャッシュカードを忘れていたなんてことはもう何度もある。数えていたらきりがない。こんなんばっかりだ。

 人生の忘れ物たちが走馬灯のように頭を駆け巡る。さっきまで聴いていた田島貴男の甘い声はどこへやら。足はもつれ、息も切れ切れ。とにかく走る。走る走る走る。早送りの逆再生で流れる街並み。3丁目公園の角を曲がる。7分で家に着いた。書類はすぐに見つかった。さっき見送ったはずがなぜここに、と母が驚く。ちょうど出かけるところだから車で送ってくれるという。走ったほうが速いかも、と思いつつ、尋常じゃない汗をかいているので送ってもらう。

 病院に着く。いつもどおり受付を済ませる。ちょっと遅れたが問題なかった。血圧と体温を計らなければいけないという。血圧を測る。高いのか低いのかわからない。とりあえず結果の書いてある紙を看護師さんに渡す。体温は36度4分。平熱だ。

 手術室へ案内される。案内の看護師さんが、あれ、どっちだっけな、と途中で迷う。不安がつのる。

 手術準備室に入る。3人の医師に迎え入れられる。名前の確認。更衣室で割烹着のような白衣に着替えるよう言われる。更衣室に入ってから、これ、服は全部脱いでいいんだよな……と、確認し忘れたことを後悔する。まあ、全部脱ぐものだろう。荷物をすべてロッカーに入れて外へ出る。頭に青い透明のビニールを被せられる。いよいよ手術室へ。

 

 手術が始まる

 手術室には研修医と思われる人も含めて7人ほどが待機していた。やっぱり研究対象なんだ。例の失礼な先生はいなかった。指示に従って横になる。点滴を打たれる。顔の前にカーテンが引かれる。それなりに出血するんだろうな。準備を待っていると、突然音楽が鳴り始めた。デンデンデンデンデンデンデン。えっ? なぜ? こういうものなのか。Black Eyed Peasの「I Gotta Feeling」。手術室に全く似つかわしくないアゲアゲナンバーだ。一体何を感じろというのか。その後も「2010年代洋楽ベストヒット」のようなアゲアゲメドレーが続く。どういう状況?

 麻酔を打たれた。結構ちくっとする。でも我慢できる範囲。カーテンの奥は何も見えない。執刀が始まったのだろうか。ぐりぐりぐりぐりされている。あ、痛い。めちゃくちゃ痛い。内臓を直接触られている感じがする。「痛かったら痛いって言ってくださいね」と言われる。痛いです、はい、痛いですよ。先生は「あー、裏側は痛いんですよね。麻酔も効きづらい部分なんだよな」と言った。それだけだった。結局耐えるしかないんかい。

 ひとりの看護師さんはメンタルケアの担当のようだ。隣で話しかけ続けてくれる。大学生ですか? ああ、池袋ですか。遠いですね。あ、でも、家は近いんですね。僕も前はその辺に住んでました。身長高いですよね。バスケとかされてるんですか? えっ、映画館で働いてるんですか、ああ、あの、水族館の隣の。この前、子どもを連れて行きました。最近は映画観れなくなっちゃったな。今まで観た中で一番面白かったのは? あははは、答えづらいですよね。『グレイテスト・ショーマン』面白かったですよね。僕は映画観る前にサントラで知って。それで観たら最初からあの曲流れてきて。あ、『ボヘミアン・ラプソディ』はどうでした? えっ、3回も観たんですか。あれはもうフレディの生き様をね。僕は映画館では観れなくてブルーレイで観ましたよ。

 この会話中、ずっと痛い。拳を固く握りしめて堪えている。でもなんとか気を紛らわしてくれているのだ。ありがとうございます。

 執刀中の先生同士の会話。ここをさ、こうやって切らないと、膨らんじゃうから。デザインしてあげよ。デザイン。なるほど、いい言葉だな。

 執刀が終わったらしい。止血が始まる。めちゃめちゃ痛い。しかも音が怖い。プーッという音の後、シューッというスプレー? レーザーかな、めちゃめちゃ痛いし怖い。裏側は痛いんだよなあー、とまた先生。でも、こっちはあんまり痛くないんじゃない? あ、そうですね。さっきよりは。でも音が怖いんだよな、音が……。先生はひたすらシューってさせる。

 縫合に入る。激痛。どこに針刺しても痛いものは痛い。特に裏側は痛い。しかも、糸が自分の体からぴ〜って伸びていくのがわかる。いやーーーーー早く終われ。大きく息を吸って吐く。お産の時の呼吸はひーひーふーだったか。ひーひーふー、ひーひーふー。いや、マラソンの呼吸のほうがいいか。すっすっはっはっ、すっすっはっは。そんなことをしても気は全然紛れない。もうちょっとで終わりますからねー、と言われてから全然終わらない。ああ痛い痛い痛い!!!!

 もう限界だ、と思ったところで先生が終わりましたよと言った。よかった。再び尋常じゃない汗をかいている。どんな感じになったかを見せてくれる。こうやって見えてる感じです。あー、はい。ありがとうございます。初めて外に剥き出しになった陰茎を見ても、全然自分の体だとは思えなかった。じゃあちょっと軟膏塗りますね。こうやってべっとり付けて、それから伸縮性のある包帯を巻いてください。今日はちょっときつめに巻きますけど、明日からは優しく巻いて大丈夫です。あと、念のため、オナニーはしないでくださいね。たまにいるんですよー、それで傷口開いちゃう人。あと、勃起もなるべくしないようにしてください。もしも傷が開いたらすぐ病院に来てください。……恐ろしくなってきた。

 出がけに執刀をリードしていた先生に話しかけられる。性行為はできてました? いやー、あんまり。皮被ってるなって感じで。痛かったですね(わたしはセックスをしたことがなかったのでこれは全部嘘)。そうですか。そういう感じはなくなると思うんで。お疲れさまでした(ホント疲れたよ)。

 精算して病院を出る。軟膏と痛み止めをもらいに目の前にあった薬局へ行く。新しくて綺麗なのと古いのと二つある。綺麗な薬局に行こう。ウィーン。いらっしゃいませ。初めてです。保険証を渡す。代わりにアンケートを渡される。症状:包茎手術……でいいのか。この申告必要か? アンケートの一番下に、美容や健康に関して下記から気になる事をチェックしてください、とある。なるほど、美容系の薬局だったのか。どおりできれいなわけだ。明らかに自分だけが浮いている感じがする。包茎手術も美容と健康に関係しているといえばそうなのだけれど……。待っているとダイエットドリンクの試飲を勧められた。じゃあマンゴースムージーで。紙コップに黄色のトロッとした飲み物を口に含む。意外とおいしい。名前を呼ばれ、軟膏と痛み止めをもらう。よろしければそちらのチラシもご覧ください。カウンターの横にはダイエットドリンクのチラシが置いてあった。あ、はい、おいしかったです。ありがとうございました……。

 こうして手術は終わった。かかった費用は保険適用で10,000円切っていたんじゃなかったかな。怒涛の数時間で会計した記憶がない。しかし麻酔の切れ始めた帰り道、ここからが第二の地獄の始まりなのであった……。

 

〜④につづく〜

22歳で真性包茎の手術をしたときの話②

前回の続きです。

 

・2回目の診察

 後日、病院から電話がかかってきた。検査結果が出たので来てほしいという。これで全然違う別の病気が見つかったらどうしよう……(どうして結果くらい電話で教えてくれないのか)。不安な気持ちのまま病院へ行く。

 診察室に入ると、またあの失礼な先生が座っていた。

 「結果は問題ありませんでした。手術日ですが、いちばん早くて10日後の7月27日14時からの枠が空いてます。どうしますか」

 とりあえず何事もなくてほっとする。「わかりました。お願いします」

「手術は環状切除術という術式で行います。亀頭部分の包皮を切り、切り口を陰茎の根元と縫合します。皮は少し余らせて縫うので、いわゆる綺麗なズルムケにはなりませんが……あ、切った皮はどうしましょう」

「どうしましょう、というのは」

「記念に持って帰る患者さんもいるんですよ。ほら、へその緒を大事にとっておくってことがあるでしょう。タンスの奥に閉まったりして。あれと一緒です。ま、元は自分の体の一部ですからね。卒業記念みたいなものですよ」 

「はあ、そういうものですか。奇特な人もいるもんだな。まあとにかく、要りません」

「そうですか。それから、うちは大学病院なので研究の一貫として手術の様子を写真に収めておきたいのですが」

「サンプルとして使われるということですか。それは構いませんが……」

「最近はみなさんクリニックで手術されますから、大学病院じゃ貴重な症例になっているんですよ。こちらを読んで問題なければ研究への同意のサインをお願いします。サインしていただいたらさっそく手術前の状態を撮るので、ズボンとパンツを脱いでベッドに横になって待っていてください。私はカメラを持ってきます」

 そう言って先生は診察室の奥にあるカーテンの奥へと消えていった。カーテンの向こうは廊下になっていて、隣りあう診察室と廊下を共有してつながっているようだ。

 言われたとおり同意書にサインをして先生の机に置き、ズボンとパンツを脱いでベッドに横たわる。しかし、この格好で待ってろっていうのもなんだかな。どういう顔をして待っていればいいのかわからない。カーテンの裏側から看護師さんや他の医師の声や歩く音が聞こえてくる。先生はなかなか戻ってこない。ふいにカーテンが開き、若い看護師さんが顔を覗かせた。

「あっ!! すみません。失礼しました」

 看護師さんは動揺した様子で逃げるように去っていった。音がしなかったから診察室が空いているかをチェックしようとしたのだろう。そしたら突然ベッドで半裸のまま仰向けになっている男性が目の前に現れたのだから驚くのも無理はない……。いやでもこっちも驚いたから!!! この格好で待っていてくれと言われたこちらの気持ちも察してほしい。お互いに不幸である。そしてこの不幸を生み出したのは帰ってこないあいつだ。いったい何の罰ゲームなんだ。また同じことが起こってはいけないと思い、とりあえずパンツを履いてベッドに腰をかけることにした。しばらくして、先生が戻ってきた。

「お待たせしました。あれ? 準備はいいですか。パンツも脱いでくださいね」

 あなたが帰ってこないせいでこうすることになったのですが……と言うのも面倒だったので、素直に従うことにした。パンツを脱いで再びベッドに仰向けになる。先生は一眼レフを慣れた手つきで構え、何枚か写真を撮った。高精細なカメラで撮られた自分の陰部の写真を想像し、なんなんだこの状況……と思った。理解し難い。

 こうして手術の準備はすべて整い、あとは当日を待つだけになったのだった。

22歳で真性包茎の手術をしたときの話①

 22歳の夏休み、真性包茎の手術をすることにした。この文章は、真性包茎の手術を考えている人に届くといいなと思って書くことにした。自分が手術を受けた当時は本人の体験談などの情報がほとんどなく、めちゃめちゃ不安だった。手術時と術後の生々しい痛みも書くことになるので、苦手な方は閲覧注意。

 

・決意〜病院への電話

 手術をすることにしたのは、パートナーのすすめがきっかけだった。自分が真性包茎であることは認識していたのだが、手術するとなると費用がかかるし、当時は実家ぐらしだったので親にも言わなきゃいけないだろうし、ということで、いつかはしなきゃいけないと思っていたが億劫でずっと先延ばしにしていたのだった。

 パートナーに打ち明けると、「こっちはピル飲まないといけない体で定期的に何万円もかかるのに、手術1回きりで保険適用で自己負担3万円くらいで済むんだからやるなら早めにやったほうがいいに決まっている、そんなことでいちいち悩むな!!」と説教され、手術を決意。次の日、手術が受けられる場所を調べてさっそく電話することにした。

 手術は病院かクリニックのどちらかで受けることができた。病院だと保険適用が確実で安く、クリニックだと費用は高額だが保険適用外のオプションとして形の整形なども付けられることがわかった。わたしの場合は徒歩20分くらいの距離に大学病院があり、そこが包茎手術もできるとホームページに書いてあったので、病院で手術を受けることにした。

 リプロダクションセンターというところが管轄らしい、という調べがついたので勇気を振り絞って電話する。

「あ、包茎手術ですね。いまは泌尿器科が管轄なんですよね〜。お電話回しましょうか?」

「ああ、いいですいいです! 失礼します!!」

と言って慌てて電話を切る。ああ〜恥ずかしい。めっちゃ調べたのに。このときのショックは今も覚えている。気を取り直して泌尿器科に電話。すると、「初診ですか? でしたら予約不要なのでふつうに来院してもらえればいいですよ」とのことだった。拍子抜け。なんのために間違い電話までしてこんなことを……と思ったが、とりあえずそのまま病院へ行くことにした。

 

・初診

 大学病院に着く。泌尿器科の窓口で、真性包茎の手術の相談に来たことを告げると、こういうお客さんは珍しかったのか、受付の看護師さんはちょっと驚いた様子を見せたが、席で待っていてほしいと言われた。平日午前中の泌尿器科は高齢者でいっぱいで、明らかに自分だけが浮いていた。30分ほど待ち、名前を呼ばれて診察室に入る。

 先生は40歳くらいの茶髪のパーマヘアの人だった。そしてまだ席にもつかないうちに「じゃあ早速診ましょう! もう、ボローンと出しちゃってください。あ、立ったままでいいですよ」と言った。完全に笑っているじゃないか。こっちは勇気出してきたのに失礼な……と思いながらも、とりあえず言われたとおりにする。触られ、本当に剥けないか確認される。

「はい、確かに。しまっていいですよ」

 着席し、カルテの作成に移る。

「症状はいつごろからですか?」

「いや、いつからも何も、産まれたころからですよね。気づいたのは13、4歳のころかな」

「あははは。そうですよね」

この先生、相当失礼である。

「でも、どうして来ようと思ったんですか? 22年間そのままだったのに」

「いやま、人に話したら、手術したほうがいいって言われたから。守るものでもないしな、と思って」
「そうですか。じゃあ手術、しましょうか。今日はこの後、手術にあたっていろいろ検査を受けてもらいます。手術を受けるにはには健康じゃないといけませんから」
「あの、先生、これって保険効くんですよね」
「適用されます。気になりますよねえ。仮性包茎だと効かないんです。〇〇さんみたいなのは……なんていうんだろう、あははは(笑)」
「大丈夫ってことですね」
「そうです。病気ですので。ご安心ください」

 診察室を出ると、全身の検査に案内された。「症状」には全然の関係ない肺や心臓の検査、また採血など、文字通り手術するための全身の検査である。ひととおり終え、疲れ果てて帰路についた。

 

・親への告白

 さて、手術を受けるとなると、その後は安静にしなきゃいけないから、黙っていても親にはバレてしまう。だから今ここで話しておかないといけないが、ふだんから性に関する話をしているわけではないので、なんて言ったらいいのかわからない。そもそも言いたくない。実家なんてさっさと出ていればよかった……。

 色々考えて、ベストなタイミングはここだと思い、就寝前の母に話しかけた。

「実は言わなきゃいけないことがあって」

「えっ何」

包茎ってわかる? 自分、真性包茎で、保険適用なんだけど、手術しなくちゃいけなくて。いつかしないといけないと思ってたんだけど」

「なんだ、結婚するか妊娠させたかと思った。あー、びっくりした」

「はあ……ま、そういうわけで今日病院行ってきたんだけど、今月末くらいには手術するから。おやすみ」

 とりあえずすんなり話は通ったが、結婚とか妊娠とかいちいち言う母にはあきれてしまった。

 翌朝、父に突然、「ずっと不安な気持ちにさせてごめん。子どものときにちゃんと見てなかったから。申し訳ない」と謝られた。母が話したのだろう。たしかに人によっては子どもにムキムキ体操をさせたりするらしいので、親の教育不足というのもあるのかもしれないが、まさか謝られるとは思っていなかったので、ちょっとウケた。兄は「手術するんでしょ!? 痛そ〜」とだけ言った。

 

〜②につづく〜

2024-04-24

 PayPayの支払いでバーコードを読み取ってもらった直後にスマホの画面を切ると、次にスマホを開いたときに「ペイペイ!!!」と大きめの音量で再生されるという現代のあるある。職場で鳴ると結構慌てる。たぶん学生とかだと授業中に鳴って注意されたりするんだと思う。だから何ということはないのだが。この話はこれ以上広がりません。

 今年は立岩真也を読む、カーラ・ブレイを聴く、の2本柱でいくことにしているのだが、残業続きでなかなか時間をとれていない。4〜6月の残業は社会保険料の算定にひびくので気をつけないと。とはいえ窓口や電話の対応がある職場なので、事務仕事が後回しになるのは避けられなくもある。

 今日は45分だけ残業してちゃちゃっと退勤。通勤電車の中だけは自分の好きなように使える時間になっている。出勤中には社会福祉士のテキストを読みながら『Heavy Heart』(1984)を聴いた。

‎Heavy Heart - EP - カーラ・ブレイのアルバム - Apple Music

 いまは帰り道にこのブログを書きながら再び聴いている(ブログはいつも電車の中で書く)。全体的にリバーヴのきいた音の質感はスムースなのだが、曲と演奏はスムースに流れてくれないのでそのバランスが面白い。ライヴで聴いたら楽しそうだな。この前ピットインでやっていた吉田隆一さんのプレイズ・カーラ・ブレイに行けなかったのが悔やまれる。またの機会に。

 そういえば4/20のコレクティブFUKUSHIMA!にも結局行けなかったのだった。

https://x.com/otomojamjam/status/1781468703365939270?s=46

 大友良英さんの新しいプロジェクト。誰でも参加できる形態での集団即興演奏。2023年のフェスティバルFUKUSHIMA!では盆踊りで駅前広場を賑やかした(そのときのレポは別のブログに書いたので、そのうちこっちにも載せる)。5/3には郡山でまた演奏するそうだが、休日出勤が確定している。行けなかったイベントばかり増えていく。こんなの絶対おかしいよ、と思いつつも、労働できてしまっている自分は当然、労働できる側の人間として生きているので、自分のマジョリティ性を自省しつつ、でもやっぱりおかしいよなと思ったり言ったりしている。Fuck off! 休日出勤。

2024-04-23

 LINEを開くと誕生日が近い「友だち」を知らされた。プロフィールに誕生日を設定していると、ほかの「友だち」に知らせてくれる、ありがたいんだか迷惑なんだかわからない機能。LINEを開くたび、あと数日か……と思う。そうしてそのうち誕生日当日になる。当人のアイコンには誕生日であることを示す三角帽子が付いている。先のばしにしていた選択に答えを出さなくてはいけない焦燥感に苛まれる。

 問題は誕生日の「友だち」にメッセージを送るか送るまいか、である。親しい友だちには送ればいいが、そんなに親しくない「友だち」に送ったら何か思われるんじゃなかろうか。それとも、ここまで強調されているのに無視するほうが薄情だろうか。そもそも周知されることをわかった上で誕生日を設定しているのだ。それは送っていいことの紛れもない証左と受け取っていいのだろうか……。

 相手がどう思うかを考えているようで、その実自分がどう思われるかを考えてしまっているということがある。誕生日メッセージを送るか送らないかはそのパターンのひとつである。送るわたしは、あるいは送らないわたしは、相手に何を思われるんだろうか、という自意識である。もちろん、そのように悩むことが悪いわけではない。相手と自分の関係に権力勾配がある場合、よかれと思ってやった行為が相手を抑圧することは多々ある。ちょっとしたことで贈与は簡単に暴力になる。そうならないようにするためには、自分の暴力性を自覚しておく必要がある。それは相手に自分がどう思われるかを考えることにほかならない。むろん、完璧に自覚することはできないのだけれども。

 その上で、送りたければ送る。送りたくなければ送らない。加えてほかの人に送ることを強要しない。それだけでよい。それだけでよいはずなのだが、そうすることが結構むずかしいのは、他人が自分と同じようであってほしいという気持ちがあるからかもしれない。こっちが送ったからといって送りかえしてもらわなくてもよいとわたしが思っていても、送られた側は、送りかえさないといけないのではないか、と考えたりする。そういう暗黙の了解の読みあいみたいなことが行われている。

 そんな悩みが次第にどうでもよくなってきたので、最近は自分が送りたければ送る、それ以外のことはあまり考えなくなった。しかもメッセージだけじゃなくて、500円くらいのミスドとかのチケットもつけて送る。自分がミスドのチケットをもらったらうれしいのでそうしている。自分勝手極まりないが、そもそも頼まれてもいないのに他人の誕生日を祝おうとすること自体が自分勝手なことではないか。結局、何をやっても多かれ少なかれ非難されるのだから、自分がどうしたいかを見極めて、そうするだけなんだと思う。デヴィッド・ボウイもそう言っていたんだから、そうなんだろう。

2024-04-22

 ファミチキを上手に食べるコツ。ファミチキはほかのチキン系ホットスナックよりも肉汁というか脂が多い気がする。噛むと脂がビャッと出るので服に飛ばしがち〜。この前も職場でシャツに飛ばしている同僚を見たし、自分もクリーニングしたてのコートに飛ばしたことがある。あれはショックだったな……(シミ取りグッズで落とした)。脂なので物理的にも精神的にも結構ダメージがでかい。ファミマの定番商品どころかホットスナック代表と言っていい知名度と入手しやすさを誇る一方、食べるときのリスク:★★★★★★★★★★みたいな食べ物である。

 さて、そんなファミチキを上手に食べる方法を考えてみる。

①脂を吸いながら食べる

 ファミチキはその手軽さゆえ、歩きながら食べることも多い。しかし、歩きながらだと肉汁を避けるのが一層難しくなる(前に進みながら食べるのは飛び出す脂に自らぶつかっていくようなものだ)。その際に有効なのがこの方法。噛むと同時に脂を吸うことで、飛散(悲惨)を防ぐことができる。わたしも買い食いの際はこの方法を用いている。

②お皿に乗せ、ナイフで切って食べる

 ファミチキをお皿に乗せたことがあるという人に会ったことはないのだが、かなりの確率で失敗を防げる方法だと思う。パセリや胡椒、マジックソルト、ほりにしなどをふりかけ、付け合わせにキャベツの千切りやキャロットラペを添えれば、立派な主菜にもなる。

③服を脱いでから食べる

 冗談のようだが、絶対に防ぐ方法としてはこれしかない。服を脱いでおけば汚れることはない。ファミチキはこれくらいの備えが必要だと思う。脱いだ服や机の上に置いた本などに飛ばさないように気をつけること。

 なんだかいつもに増してしょうもない内容になってしまったな。家と職場の往復で、あまり本も読んでないし音楽も聴いてないとなると、食べもの以外に書くことがないんですよね。うーむ。

 ここ最近の休日について。3週続けてインディージョーンズを観た。午前十時の映画祭。一緒に見た同居人は3作目が一番面白かったと言っていた。インディのパパが出てくるやつ。これは書けそうだからとっておく(とかやってると書かなくなってしまうんだよな)。