2024-06-06

 すぐには言葉にできないな、と思って書かないでいると書きたかったことを忘れる。忘れると書くことができないので忘れないように書いている。でもそれって本当に忘れたくないことだったのか? とも思う。忘れないほうがいいことはそんなにたくさんはないし、結局、忘れてもいいようなどうでもいい話をなぜか忘れないために書いている。そもそも書くということは、まず書く行為が先にあって、書かれた内容は後からやってくる。忘れないために書くのだとしても、書かれる前にはそれが本当に忘れたくないことだったのかを判断することができない。なのに、自分が書いたものを後から読み返してみると、これを書いたのはきっとこのとき感じたことや起きたことを忘れないようにするためだったのだろう、と思ったりする。結果、「忘れてもいいようなどうでもいい話」が「忘れないようにしようと思った話」として累積していく。そうしてどうでもいいことばかりを妙に記憶していることになる。

 2年ほど前の話。同僚がA4のコピー用紙をまじまじと見ながら、「コピー用紙って、コピー/用紙? それともコピー用/紙?」と訊いてきた。確かに。どっちなのか考えたことがなかった。

 前者は「コピー」と「用紙」という言葉の組み合わせ。「用紙」という言葉はちゃんと辞典に載っている(コトバンク調べ)。「コピー」のための「用紙」。

 後者は「コピー用」の「紙」。正確には「コピー」「用」「紙」という言葉の組み合わせだろう。「コピー」に使「用」するための「紙」。これも納得がいく。二人で考えてみたがどちらにも問題がないので答えが出ない。

 結論、たぶん、どっちでもいい。どっちでもいい話ばかり覚えている。ただ、この話を忘れていなかったのは(そして忘れないように書き残しているのは)、職場で話すにはあまりにも非生産的でおもしろかったからなのだと思う。結局、こういう話ばかり書いておきたい(覚えておきたい)のである。ほぼ毎日どうでもいい話ばかりをぽちぽち積み重ねている。でも世の中にはどうでもよくないことがあるからどうでもいいことがあるのであって云々、という話はどうでもいいのでしません。

 それより同僚は仕事中になぜ突然そんなどうでもいいことが気になったのか。きっと本人はもう忘れていると思うのですが。