髪を切りに行き、由緒ある町中華でラーメン半チャーハンセットを食べ、家に帰り、すね毛等を剃り、自転車を磨いて空気を入れ、図書館を2館めぐり、家に帰り、シャワーを浴び、カップヌードルを食べ、社会福祉士の通信のレポートを1本書き上げた。これで今月はあと2本。日記代わりにレポートです。
社会福祉の目的
①どのような主な目的があるでしょうか。
②また、その中でも「社会生活上の基本的ニーズの充足と調整」ということが、著名な研究者によって言われ続けてきましたが、それはどのような内容でしょうか。
韓国の哲学者であり、ノドゥル障害者夜間学校の教師である高秉權の本に、こんな一節がある。「わたしは生活保護受給者の立場で『果敢に』海外旅行を一年に二度もしてきた人びとを尊敬する。一方ではがむしゃらな生活力を尊敬し、他方では社会的権利を社会的債務へと置きかえようとする権力者たちの陰凶な陰謀に屈しないその精神を尊敬する。道徳という名前の石をぶつけられるべき存在がいるならば、それはかれらではなく、自身たちの強欲さをやめることはせずに、果敢にでしゃばって二度も海外旅行をしたと貧しい人びとの首をじりじりと締めあげる人びとと、その政府だ」⑴。この鋭い文章から、社会福祉の目的を考えてみたい。生活保護受給者が旅行することは、この日本においてもバッシングの対象になっている。2023年の「生存権を求める京都デモ」では、受給者と支援者が「たまには旅行にいきたいぞ」「たまにはウナギも食べたいぞ」と訴えた⑵。社会的スティグマへの抵抗である。
さて、「社会福祉実践とは、一定の社会体制内にある社会福祉制度の下で、社会生活上の基本的ニーズの充足・調整が欠けることにより、社会福祉サービスの利用を必要とする人(国民大衆=労働者)の問題解決・援助を目的として、その個人・家族とそれを取り巻く環境(制度・施設などを含む)に対して、社会福祉の専門的な知識と方法と価値観を持った社会福祉従事者(代表はソーシャルワーカー・ケアワーカー)が働きかけていく行為である」⑶という。例えば、精神疾患のためフルタイムで就労できず、生活費を払えない人がいる。基本的ニーズの不充足である。そこで必要になるのが調整、すなわち富の再分配としての生活保護制度の利用である。この場合、社会福祉従事者には大きくふたつのレベルでのアプローチが求められると思われる。ひとつは当事者の生活の相談支援(ケースワーク)、もうひとつは精神疾患のある人でも十分に生活費を稼ぐことができるような、あるいは働かなくても生活できるような社会の実現に向けた働きかけ(ソーシャルアクション)である。
では、その人が「たまには旅行に行きたい」と言った場合、それも基本的ニーズの範疇に含まれるのだろうか。生活保護にスティグマを与える人ならば、「それは贅沢だ」とばっさり切るだろう。生活保護受給の如何を問わず、誰にも旅行する権利は保障されているにもかかわらず。しかしそもそもこの問題の根底にあるのは、基本的ニーズは誰が、どのように決めることなのか、ということではないか。ハートレー・ディーンは、その著書『ニーズとは何か』において、「ニーズの政治学」⑷の必要性を訴えている。社会福祉の目的もまた、国家(制度)・ソーシャルワーカー・クライエントの「闘争」⑸の場として、捉え返す必要があるだろう。
【引用文献】
⑴高秉權(影本剛訳)『黙々——聞かれなかった声とともに歩く哲学』明石書店、2023年、68頁。
⑵「京都で生存権を求めるデモ『たまにはウナギも食べたいぞ』」朝日新聞デジタル、2023年10月19日更新(https://www.asahi.com/articles/ASRBL76KNRB2PLZB007.html、2024年9月14日閲覧)。
⑶秋山智久『社会福祉の思想入門——なぜ「人」を助けるのか』ミネルヴァ書房、2016年、107頁。
⑷ハートレー・ディーン(福島正博訳)『ニーズとは何か』日本経済評論社、2012年、269頁。
⑸副田義也編『シリーズ福祉社会学2 闘争性の福祉社会学——ドラマトゥルギーとして』東京大学出版会、2013年。
【参考文献】
⑴立岩真也・齊藤拓『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』青土社、2010年。
⑵フレデリック・G・リーマー(秋山智久監訳)『ソーシャルワークの哲学的基盤——理論・思想・価値・倫理』明石書店、2020年。
⑶「<コラム 筆洗>海外渡航の自由は憲法22条2項が保障する。何人も、外国に移…」東京新聞 TOKYO Web、2024年5月3日更新(https://www.tokyo-np.co.jp/article/324935、2024年9月14日閲覧)。