充填率200%(体感)の電車に乗って、よく毎朝毎晩通勤しているな、自分、と思う。よくやってるよ。
もちろんいつも満員なわけではない。混んでいるときはスマホを持つことすらままならないが、すいているときにブログを書いたり社会福祉士養成通信のテキストを読んだりしている。
社会福祉士の通信は、2ヶ月ごとに4本のレポート提出が課せられている。1本1000〜1200字であるが、それぞれ科目が異なり、知らない分野も多々あるので、それなりに時間がかかる。
というわけで今朝は、電車の中でスマホをぽちぽちしてレポートを書き上げた。えらすぎる。あしたは雪が降るかもしれない。世界のどこかで(あたりまえ体操)。これを日記がわりに公開しておこう。「社会学と社会システム」という科目の課題である。
現代組織、特に福祉施設や福祉行政組織における「官僚制の逆機能」について具体例を挙げて論じなさい。
先日、わたしの勤務先でこんなことがあった。地域福祉に貢献している方を表彰するにあたって、記念品を選定したい。例年は区内の商店や福祉作業所に依頼して菓子折りを贈っている。今年もそれにならい、いくつか候補を絞り込んだ上で事務局長に相談し、最もふさわしく思われた菓子店に決定した。選定理由は、店主が児童委員をつとめていてこの表彰の趣旨に賛同してくれたこと、また地域密着型の小規模店で、その店自体が地域住民の交流拠点になっていたことである。契約にあたり、担当者が起案文書を作成した。ところが別の職員がこの起案文書に難色を示した。相見積もりをとっていないことに気づいたからである。すでに決定した店舗以外へお断りの電話を入れてしまった。担当者は事務局長に相談して決定したのだから、相見積もりは不要だと考えていた。しかし、確かに経理規定には、随意契約の場合、少額であっても2社以上から見積もりを取得しなければならないと明記されている。担当者はあえなくそれまで候補に挙がっていなかった店舗を調べ、電話で事業の趣旨を説明し、相見積もりのためだけに見積書を取得してから起案文書を再度作成した。もちろん、後から候補に挙がった店舗には頃合いを見て断る連絡をしなければならなくなるとわかっていながら……。規則を遵守するために、余計な仕事——デヴィッド・グレーバーであれば、「ブルシット・ジョブ」と呼んだであろう——が増えたのである。
さて、以上の事例は官僚制に関っていると思われる。「官僚制組織では、規則や文書に基づいて職務が遂行される」⑴。マックス・ウェーバーはこれを、「的確、迅速、一義性、文書に対する精通、持続性、慎重、統一性、厳格な服従、摩擦の除去、物的および人的な費用の節約」⑵という点で評価した。要するに、無駄や恣意がなく、合理的なのである。
一方で、ロバート・キング・マートンが指摘したように、官僚制には逆機能がある。すなわち、「規則の厳守に対する要求」によって「柔軟な対応がとれなくな」り、「かえって不効率を生み出すことになる」⑶のである。わざわざ泡沫候補を立てることは実務上何の意味もない。あったとしても、せいぜい成果をあげようと血眼で文書の粗を探す監査人の目をかいくぐる程度のことである。
ではどうすればよいのか。紙幅の都合、そこまで踏み込めないが、「官僚制はゲームを形成する」⑷というグレーバーの指摘は示唆に富む。わたしたちは官僚制というゲームをプレイしている。そのゲームには規則(ルール)がある。ただ、プレイは「本質的に規則に拘束され」⑸ない。ルールブックを破り捨てることはできないが、しかしプレイには恣意の余地が残されているのである。このことをどう解釈してよいものか。組織の中でグレーバーのようなアナキストであるのは、なかなか簡単ではない。
⑴武川正吾『福祉社会――包摂の社会政策[新版]』有斐閣、2011年、132頁。
⑵同上。
⑶同上、133頁。
⑷デヴィッド・グレーバー(酒井隆史訳)『官僚制のユートピア——テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』以文社、2017年、270頁。
⑸同上、273頁。