福祉の相談支援業務をしていると、ついつい利用者とか言ってよくないなと思う。たしかに福祉サービスの利用者ではあるんだけど利用者という位置に固定してしまうと、その人やその人のまわりの人が、普通に生活を送っているということを見落としてしまいそうになる。買い物したり洗濯したり、という普通の生活。特に窓口業務だと次々に来る人をさばいていくみたいな感覚になってしまうんですよね。
「寄り添い」とか「福祉マインド」とか「伴走支援」とか嘘くさ……と思いつつも、もう嘘くさくてもなんでもいいから言ってかなきゃいけないんだろうな、と思うことは多々ある(反対に、徹底しすぎて燃え尽きたりパワハラや長時間労働を是としたりする風土もまたある)。
それにしても相談って、家族構成はもちろん、世帯の経済状況、友人などのまわりの人間関係、趣味・特技、ざっくりとした性質・性格から細かい嗜好まで、もう本当にあらゆることを話さなければならないので、本当に尋常じゃない労力を必要とするんですよね。相談する元気がないので相談できない、という人は本当にいっぱいいる(なので最近はこちらから出向くアウトリーチが重要と言われたりする)。二郎系らーめんは食べると元気が出るけど元気なときしか食べられない、みたいな話(関係ないけど二郎が好きな人って話し相手が二郎に行く人かそうでないかを確認してきますよね、あれはいったい何?)。しかも福祉の制度は建てつけがさまざまな上にどんどん変わっていくのでプロパーでも混乱するほど複雑怪奇なり。
とここまで書いたら食事し終わったナリ。食器を洗うナリ。めんどくさいナリ。唐突に日記は終わるナリ。今日もがんばったナリ。コロ助ナリ。