2024-04-11

 ホームの反対側から大きく手を振る人を見ると、あの人は良い人だな、と思う。当然、実際に良い人かどうかは話してみないとわからないのだが(もしかしたらとんでもないヘイターかもしれないし、そもそも良い人のイメージがおぼろげだ)。しかし自分が同じ状況になったときを想像してみると、気恥ずかしさで小さく手を振るか、もしくは知人がいることに気づいていない素振りさえしそうなので、大きく手を振れる人に抱く羨望が「良い人」という印象に変換されて出力されているのだろう。

 以前、日本舞踊を習っているという人がホームの反対側から手を振ってくれたのを見たとき、そのフォームがあまりにもしなやかで美しく、「所作」は日常生活の隅々まで行き渡るものなのだなと深く納得した。自分にはそんなふうに手を振り返すことはできないが、他人が大きく手を振るさまをハタから見ているだけでもなんだか楽しくなってくるのだから、手は大きく振り返したほうが誰にとっても良いのだと思う。「バカのふりをして」という常套句は好きではないが、自分さえつらくなければ「明るい人間のふりをして」生きるのは良いことなんじゃないだろうか。誰も他人の本当の気持ちを知ることはできないのだから、明るくふるまえる人間はすでに明るい人間だ。

 駅の改札に入ると、エスカレーターを降りる学生が改札外に向かって大きく手を振っていた。一定の速度でスムーズに斜め右下方向へと移動しながら去っていくその姿は、改札外にいたその学生の知り合いを少し笑わせたことだろう。ひとりとぼとぼと退勤に急ぐ身としては、帰り道に手を振るだれかのいるその学生が羨ましく感じた。