犬も歩けばPOWに当たる

コロッケ蕎麦はのせる派です

2026-03-07

 鈴木俊貴『僕には鳥の言葉がわかる』(小学館、2025年)を読んだ。

 大学生からシジュウカラの鳴き声を研究していた著者が、動物言語学という新しい学問を立ち上げるに至るまでのエッセイ。本屋で平積みになっているのを見かけて知っていたが、読んでみてその理由がわかった。とにかくおもしろくて読みやすい。

 シジュウカラは言語を操っていた! という、動物行動学と言語学の常識をひっくりかえす研究内容自体がおもしろいのもさることながら、鈴木さんは文章がとてもうまい。シジュウカラの生態に驚き、山荘で食料が尽きて白米に水やお湯をかけて楽しんだかと思えば差し入れのキャベツに苦しみ、自身の論文が尊敬する研究者に認められて喜ぶ。18年以上にわたるそんな研究生活の悲喜交々をごくごく飲める濃縮還元のジュースのような文章にするのはたやすいことではないように思う。

 鈴木さんは書く。「僕は信じている。鳥たちの言葉の世界を知ることで、僕たちの毎日はまっと豊かで色鮮やかなものになるはずだ。/そして今、その世界を皆さんと共有するためにこの本を書いている」(11頁)。

 アカデミアの世界だけでなく、研究を一般の人にも知ってもらおうとするのは、人間だけが言語をもつ特権的な動物だという考えに支配され、井の中の蛙となっている「カエル人間」たちを「救出」するためである。「今日解決されていない諸々の環境問題も、こうした井の中の蛙と化した人間たちの暴走によるところが大きいと、僕は思う。このままでは、そう遠くない未来、人類も地球も滅びるだろう」(234頁)。そのために鈴木さんは「立ち上がった」(同上)のだ。

 さて、本書のなかでも特に気に入り、気になったエピソードとして、研究者は研究対象に似ている、というものがある。鈴木さんは複数の友人からシジュウカラに似ていると言われるらしい。また、学会ですれ違った研究者がカマキリそっくりだったのでカマキリ研究者に違いない、と思ってポスター発表を見たら本当にそうだった、などということが書いてある。

 これは理系の分野での話なので動物を対象にした研究者のエピソードとなっているが、文系研究者のはしくれであったわたしも、じつは前々から鈴木さんと同じことを思っていた。デリダ研究者はデリダに似ているし、サルトル研究者はサルトルに似ているのである。

 わたしの修論の指導教官は『じゃがたら』や『ジダン研究』で知られる批評家の陣野俊史先生だったのだが、陣野先生はどことなくじゃがたらの江戸アケミに顔つきが似ているように思っていた。髭の生やし方だけかもしれないが。ただ、研究対象にしていると対象と研究者本人が似てくるというのは、理系でも文系でも同様にいえることなんじゃないか。

 思えば、わたしも大友良英についての修論を書いていたころ、台湾まぜそばを食べている最中に撮られた写真が大友さんによく似ていて驚いた(同居人も、似ていると言っていた)。鈴木さんは本書の中でこの問題について仮説を立てて考察しているが、まだ実証的に研究した人はいないのではないだろうか。早いところ統計学的な調査が望まれるところである。