スティーヴン・キングの短編に、「先の欠けたスプーンはフォークになる」というセリフがあった。夫に愛想をつかした妻がこの言葉に出会って別れることに決めた、というくだりだったと思う。スプーンが欠けてしまうことは「終わり」を意味するのではなく別のあり方に変化することだ、と解釈した妻はこの言葉によって別れに踏み切るのである。
わたしはこういう日常的な語彙で人生の教訓のようなもの言い表した言葉が好きでよく集めている。昔のメモアプリを開いてみる。
「うどんはうどんを超えたらいかんですよ」
たまたま観ていたテレビで香川県のうどん屋の店主が言っていた。具材や調味料をてんこ盛りにした創作うどんに対して、「いやいや、ウチのうどんはね……」という文脈の発言だったと思う。わたしはキムチとかクリームソースとかスパイスとかでコテコテになったうどんも好きな、いわゆるうどんプラグマティストなので、そう言われると「いや、カルボナーラうどんもうまいっすよ!!」と言いたくなってしまうのだが(うどん原理主義者のみなさん、すみません)、それはさておき良い言葉だと思う。うどんに対する店主の愛が伝わってくるし、「いかんですよ」という文末も絶妙に良い。「〇〇は〇〇を超えたらいかんですよ」とミーム化できる汎用性も備えている。
そんなに泣いてたら水分なくなってミイラになるよ
一時期、なぜかみちょぱこと池田美優のラジオ番組である「#みちょパラ」をよく聴いていた。これはリスナーのメールに対するみちょぱのコメントだったと思う。こういう返しがさっと出てくるのがすごい。わたしは人の話を聞いて、「うーん」とか「あー」みたいなしょうもない返事しかできないことが多いので、こういうユーモアを備えた人でありたいものだな、と思った。
さてさて、このあいだ近所の商店街を同居人と歩いていたら、居酒屋の前でサラリーマンが「投げられた匙は元に戻らない」と言っていた(正確には、わたしはぼーっと歩いていたのでそんな言葉を聞いたとあとで同居人が教えてくれた)。「匙を投げる」と「覆水盆に返らず」がごちゃごちゃになったのだろう。しかしそのふたつのニュアンスが組み合わさって、もはや新たなことわざになっているのではないか。「一度諦めてしまったことはもう二度と取り返しがつかない」。意味をとるならそんなところか。だとしたらいったいそのサラリーマンはなんの話をしていたのか。気になる。気になるがもうどこのだれかもわからない彼にその真意を聞くことはできない。まさに「投げられた匙は元には戻らない」状態。……ああ、そうか。こういうときに使うんだな。いつか辞書に載るかも。出典はここです。よろしくお願いします。