ぽちぽち軒

カツカレーのカツにはソースをかける派です

2024-09-13

 晩杯屋に入りそうになるのをぐっと堪え、松屋へ向かう。電車の中で、さまざまな文化圏の食事を食べる日記を「異食日記」と呼んだらどうだろう、と思ったが食べ物ではないものを食べてしまうことを異食というらしいのでやめておいた。

 さて、今日は職場のあっせんで健康診断へ行った。身長が去年から5mm縮んでいた。誤差の範囲はどれくらいまでをいうのだろう。わたしの感覚では4mmまで。猫背が進行しているのかもしれない。体重は2kg減っていた。適正体重マイナス12kg。ギリギリ痩せすぎくらいらしい。内科のおばあちゃんに「運動して筋肉がついたら格好いいわよ〜」と言われた。まったく嫌味のない言い方で見習おうと思った。

 松屋で定食を食べている。牛肉に大根おろしとねぎが添えてある。なんて名前のメニューだったかはもうおぼえていない。23時23分。そういえば今日は13日の金曜日だった。ジェイソンなのかフレディなのか、どちらに関係しているのかいつまでたっても覚えられない。一生覚えない気がする。一生覚えないものの存在を覚えているということが、いつかだれかを救うことになったらいいなと思う。なんの話をしているのかまったくわからない。一生わからないものが存在していることをわかっているということは、いつかだれかを救うような気がする。そう信じていようと思う。松屋を出た。夜の風が暖かい。夏の終わり。信号を無視して歩く。

2024-09-09

 HARUMI FLAGに引っ越した中高の同級生2人の家に行った。東京オリンピック2020の選手村だったタワマンが立ち並ぶエリア。全面改装され新築として売りに出されている。同級生2人は中学1年生から付き合っていて、昨年籍を入れた。それで3年ほど前にここの1戸を買い、この1月からようやく住み始めたのだという。

 新橋駅から東京BRTというバスに乗る。オリンピックにあわせて開通した路線らしい。レインボーカラーのテープが巻かれたようなデザインの車体。いかにも東京都って感じ。 ギャルっぽいノリの中学生くらいの女の子たち8人くらいと乗り合わせる。なんの用があってこのバスに乗るのだろう。公園で散歩でもするのか、誰かの家にでも行くのか。よくわからない。

 10分弱走って1つ目の「はるみらい」という停留所で降りる。はるみらいは中央区立の地域交流センター。隣に商業施設のららテラスがある。サミットやダイソー、本屋、ファミレスなどが入っている。ランチでロイヤルホストへ。わたしたち以外のグループがもれなく子連れのファミリーで驚いた。この2、3年ですっかりベッドタウンになったのだろう。

 同級生の家はタワマンの10階だった。リビングの手前中央に料理教室のような大きなキッチン、 奥のベランダは海に面していて豊洲が見える。物が少なくがらんどうのような部屋だ。押し入れを見せてもらうと薬箱や紙袋の山などさまざまな日常生活用品が乱雑に詰められていて少し安心した。居住者は隣接するマンションのラウンジや屋上も共有スペースとして利用できるのだという。隣のマンションの高層階にあるラウンジに行くと、子どもが2人並んでイスに座ってゲームをしていた。いつもそこで遊んでいるのだそうだ。

 駐車場のある地下1階へエレベーターで降りる。途中の階で停まり、ドアが開くとモップを持った清掃のおじさんが立っていた。おじさんは「どうぞ」と言って乗りあわせない素振りを見せた。同級生が乗るように勧めると、おじさんは「すみません、こんな変なの持ってるのに、すみません」とうやうやしく頭を下げて申し訳なさそうに乗りこんだ。地下1階に着くと、おじさんは開くボタンを押しながら「申し訳ありませんでした、さ、どうぞ」と言ってわたしたちに先に降りるよう勧めた。おじさんのふるまいは仰々しくてどこか奇妙だった。青山真治の遺作(になってしまった)『空に住む』でタワマンに突然住むことになった主人公を演じる多部未華子が、確かその地下階にあるゴミ焼却場でマンションのコンシェルジュである柄本明と出くわすというシーンがあったのだが、それを思い出した。奇妙な居心地の悪さ。おじさんのせいではない。高低差が人にそうしたふるまいをさせる。

 帰りのバスの窓からHARUMI FLAGを眺める。どこもかしこも同じような見た目のマンションが並ぶ。ちょっとした柱や壁など、このエリアのいたるところにTOKYO 2020という文字が書かれていたり、オブジェが置いてあったりする。ゲームで誰かが作ったみたいな空間。街ではないな、と思う。ゲームのほうがまだ生活感があるかもしれない。同級生の部屋の窓から見えた隣のマンションのベランダに衣類や布団が干されていて、「あそこは生活感があるね」と言ったら「ちょっとダサい」と言っていた。ここはそういう場所なのだろう。

2024-09-03

 充填率200%(体感)の電車に乗って、よく毎朝毎晩通勤しているな、自分、と思う。よくやってるよ。

 もちろんいつも満員なわけではない。混んでいるときはスマホを持つことすらままならないが、すいているときにブログを書いたり社会福祉士養成通信のテキストを読んだりしている。

 社会福祉士の通信は、2ヶ月ごとに4本のレポート提出が課せられている。1本1000〜1200字であるが、それぞれ科目が異なり、知らない分野も多々あるので、それなりに時間がかかる。

 というわけで今朝は、電車の中でスマホをぽちぽちしてレポートを書き上げた。えらすぎる。あしたは雪が降るかもしれない。世界のどこかで(あたりまえ体操)。これを日記がわりに公開しておこう。「社会学と社会システム」という科目の課題である。

現代組織、特に福祉施設や福祉行政組織における「官僚制の逆機能」について具体例を挙げて論じなさい。

 先日、わたしの勤務先でこんなことがあった。地域福祉に貢献している方を表彰するにあたって、記念品を選定したい。例年は区内の商店や福祉作業所に依頼して菓子折りを贈っている。今年もそれにならい、いくつか候補を絞り込んだ上で事務局長に相談し、最もふさわしく思われた菓子店に決定した。選定理由は、店主が児童委員をつとめていてこの表彰の趣旨に賛同してくれたこと、また地域密着型の小規模店で、その店自体が地域住民の交流拠点になっていたことである。契約にあたり、担当者が起案文書を作成した。ところが別の職員がこの起案文書に難色を示した。相見積もりをとっていないことに気づいたからである。すでに決定した店舗以外へお断りの電話を入れてしまった。担当者は事務局長に相談して決定したのだから、相見積もりは不要だと考えていた。しかし、確かに経理規定には、随意契約の場合、少額であっても2社以上から見積もりを取得しなければならないと明記されている。担当者はあえなくそれまで候補に挙がっていなかった店舗を調べ、電話で事業の趣旨を説明し、相見積もりのためだけに見積書を取得してから起案文書を再度作成した。もちろん、後から候補に挙がった店舗には頃合いを見て断る連絡をしなければならなくなるとわかっていながら……。規則を遵守するために、余計な仕事——デヴィッド・グレーバーであれば、「ブルシット・ジョブ」と呼んだであろう——が増えたのである。

 さて、以上の事例は官僚制に関っていると思われる。「官僚制組織では、規則や文書に基づいて職務が遂行される」⑴。マックス・ウェーバーはこれを、「的確、迅速、一義性、文書に対する精通、持続性、慎重、統一性、厳格な服従、摩擦の除去、物的および人的な費用の節約」⑵という点で評価した。要するに、無駄や恣意がなく、合理的なのである。

 一方で、ロバート・キング・マートンが指摘したように、官僚制には逆機能がある。すなわち、「規則の厳守に対する要求」によって「柔軟な対応がとれなくな」り、「かえって不効率を生み出すことになる」⑶のである。わざわざ泡沫候補を立てることは実務上何の意味もない。あったとしても、せいぜい成果をあげようと血眼で文書の粗を探す監査人の目をかいくぐる程度のことである。

 ではどうすればよいのか。紙幅の都合、そこまで踏み込めないが、「官僚制はゲームを形成する」⑷というグレーバーの指摘は示唆に富む。わたしたちは官僚制というゲームをプレイしている。そのゲームには規則(ルール)がある。ただ、プレイは「本質的に規則に拘束され」⑸ない。ルールブックを破り捨てることはできないが、しかしプレイには恣意の余地が残されているのである。このことをどう解釈してよいものか。組織の中でグレーバーのようなアナキストであるのは、なかなか簡単ではない。

 

武川正吾『福祉社会――包摂の社会政策[新版]』有斐閣、2011年、132頁。

⑵同上。

⑶同上、133頁。

⑷デヴィッド・グレーバー(酒井隆史訳)『官僚制のユートピア——テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』以文社、2017年、270頁。

⑸同上、273頁。

 

2024-08-30

 駅のホームでセブンティーンアイスを買っているサラリーマンを見た。少し笑っているように見えた。そりゃ笑うよね。金曜日、退勤中に一人で食べるセブンティーンアイス。心の中でグッジョブをした。でもあいつも右翼の差別主義者かも。そういう考えがふとよぎる。悲しいな。自分はどうなんだって話でもある。たぶん色々と間違えている。間違えたまま自宅の最寄駅に着いた。セブンティーンアイスは買ったことがない。

2024-08-28

 自宅前のマンションの駐車場。 自動車の駐車を制限するため、三角コーンが4つ置いてある。縞々のポールで繋がれたそのコーンには、丸や菱形の穴が規則正しくあいている。よく見ると、その穴は人の手でひとつひとつカットされてあけられていることがわかる。おそらくはマンションの管理をしている人が、わざわざ三角コーンに穴をあけ、デザインを施したのだろう。どうしてこんなことをしたのか。何かでひび割れが発生して、しかし捨てるに及ばず、ひび割れ部分をカットしてデザインした。ひとつだけをデザインすると他のコーンと釣り合いが悪いので、結果4つすべてのコーンにデザインを施すことになった。そんなところだろうか。さながら超芸術トマソンの一派であるようにも思われる。

 それにしても、コーンに切り込みを入れたら最後、もう後戻りはできない。書いては消してを繰りかえして形を整える作文とは異なるやり直しのきかない仕事で、まったく恐れ入る。わたしには三角コーンに穴をあける勇気はないな、と思う。そのことを同居人に話したら、「良い着眼点。そういうのをエッセイにするんだよ」と言われた(ので書いた)。

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「共通点ベン図4」の遊び方

 突然ですがベン図って面白いですよね(レディオヘッドの2ndアルバムじゃないよ)。複数の集合の関係を視覚的に図式化したもの。小学校の中学年くらいで初めて習うんじゃなかったかと思います。イギリスの数学者ジョン・ベンによって考案されたそうです。

 大抵は2〜3の集合の関係を表すのに使いますが、では、4つの集合のベン図を描くとどうなるのでしょう。

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 こんな感じで4つの楕円を重ねた図になるんですね。かなり複雑です。

 さて、今回は、この4つバージョンのベン図を使ったゲームを考案してみたので紹介します。その名も、

共通点ベン図4

です。

 

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共通点ベン図4の遊び方

【プレイヤー数】4人(推奨)

【プレイ時間】10分〜1時間程度

①共通点ベンズシートを用意します(下の画像をダウンロードしてお使いください)。

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②プレイヤーは、それぞれ自分の楕円をひとつ決めます。

③自分やほかのプレイヤーを表す要素(趣味、特技、性質、好きなものなど)を話し合い、挙がった要素をそれぞれあてはまる範囲内に記入します。要素は大きく以下の4つに分けられます。

a. ほかのプレイヤーと共通しないもの

b. 2者のプレイヤーの共通点

c. 3者のプレイヤーの共通点

d. 4者のプレイヤーの共通点

④すべての範囲内に1つ以上の要素が記入されるか、これ以上記入することができなくなった時点でゲーム終了です。

⑤ローカルルールは自由に設定して構いませんが、他のプレイヤーの性質を揶揄したり好きなものを否定したりしてはいけません。

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 というわけで、わたしが主宰するアマチュアバンドPenguin Stepsのメンバー4人を例にやってみました。できあがったベン図がこちら。

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 なお、今回はわたしとドラマーの2人でプレイしました。ほかふたりの要素については今までの会話などを思い出して埋めています。

 やってみた感想としては、

・4人の中にある2人ないし3人の関係性が可視化されて面白い

・誰とも被らない部分にその人の本質があらわれているように思える(もちろん4人の関係の中だけで被らなかった、ということではあるのですが)

・趣味嗜好が近い場合、3人だけの共通点を見つけるのが難しい(4人のほうが簡単)

といったところです。

 総評としては、わたしたちってこういうつながり方が可能なんだ……という発見があり、今後の話題のタネとして活用できそうに思いました。初めて会う人とのアイスブレイクにもいいかも? と思いましたが、信頼できるかわからない相手に対して自分自身を開示するのは難しいですよね。なにより重要なのは、心理的安全性が保たれていることです。

 ひとまず、動画配信者の方にはおすすめできるゲームだと思います。ぜひやってみてください!